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観光スポット

29.大井の砂風呂 所在地:東大井2丁目・南大井1・南大井2 ※昭和初期まで存在

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現在の品川区民公園に沿った第一京浜国道沿い地区は、人体保健や自然療養に相当効果があると名声を博し、大井海岸砂風呂旅館が多数存在し繁栄した。
明治34年(1901)大森駅から八幡駅 その後海岸駅、大森海岸駅に京浜電気鉄道(現京浜急行)が敷設された。これに触発され、明治41年小池某氏が砂風呂を鈴ヶ森刑場傍に設けたのが始まりと言われる。春は海岸散歩の帰りの休憩、夏は海水浴の帰りに汐垢を流しての涼、秋は座敷からの月見、冬は砂風呂で暖…四季折々楽しめる此処はJR大森駅で東口に降り、京浜電車に乗り換えて海岸駅か鈴ヶ森駅で下車する、近場の観光地であった。昭和12年(経営難 昭和9年池上電気鉄道開通が影響したと言われる)で大森駅-大森海岸駅間路線は廃止され、それとともに砂風呂旅館業も衰退し た。
砂風呂旅館の一部は割烹、高級料亭、花街旅館として復活し、大型料亭は、戦後まで存続した。それらは、現在 、第一京浜国道沿いの大型マンション 群に変容している。

30.料亭川崎屋 所在地:東大井1-3-38 ※現存しない

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「鮫洲町の入口左手に料亭「川崎屋」(松澤姓)がある。海に張り出した広大な埋め立て地に二階建和風楼数棟に海に望む庭を配し、湾内で獲り立ての鮮魚料理、ことに穴子料理は有名。酔客は酒席、あるい は 庭より 釣糸を垂れる事もできる興趣に店も繁昌一途であった。(中略)また川崎屋は明治天皇並びに昭憲皇太后も、たびたび、この料亭に行幸せられたという由緒ある店である。」
川崎屋の創業年代は、上記案内書によると、江戸時代の化政期(1804-30 )とされている。

31.鈴ヶ森料亭街 所在地:品川区南大井2・大田区大森本町1 ※昭和50年代まで存在

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「大井海岸」から「大森海岸」にかけては、品川区南端の三業地であり、著名な料亭が建ち並んでいた。大森海岸と大井海岸は事実上ひとつづきと見なしてよい。京浜電鐵「八幡駅」開業で、いちはやく発展したのが八幡海水浴場傍の磐井神社周辺料理屋街である。潮干狩りの行楽地として知られていた八幡海岸に、海水浴場を開設したのは明治24年(1891)である。当初は、小屋掛けの脱衣所しかない粗末な海水浴場だったが交通の便のよい立地条件から、明治26年5月、八幡橋の隣接地に「伊勢源」という料理屋が開業した。伊勢源の開業を皮切りに、日清戦争後景気もあり、周辺には「魚栄」「松浅」「八幡楼」といった料理屋がつぎつぎと開店した。
海岸に面した眺望のよい料理屋は、海にせり出す瀟洒な「納涼台」を設けて海水浴客や涼み客を集めた。芸妓屋56軒、料理屋・待合あわせて38軒、このほかに周辺には100を超える飲食店や砂風呂もあり、海水浴場の名を凌ぐ一大娯楽地に変じた。
「小町園」・「悟空林」・「やなぎ」は大井海岸の代表的な料亭であり、なかでも悟空林は昔で云う大廈高楼の屋根にネオンサインを輝かせ一際目立った。戦争中は海軍の寮に転用され、空襲の被害は免れた。昭和12年(1937)に建築された「福久良」も木造建築としては大きく、 2階建て(1部3階)で約2,590平方㍍あり、ジェームスボンド主演「 007 」のロケ地にもなり、 大森海岸側の料亭街の中で威容を誇っていたが昭和58年に取り壊され、これを最後に第一京浜国道に建ち並ぶ料亭街の面影は一掃されマンション街に変容した 。     

32.大井水神公園 所在地:南大井6-15・16

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大森駅に貨物取扱用のヤードがあり、通常部分よりやや道路が外になり細長い空地が出来た。
モースの図書に描かれた大森貝塚発掘の図もここから見た景色である。明治期以前は農地でしたが、大正時代以降住宅が立ち並んだ。戦後は沿線にあった多くの家屋は焼失し空き地になった。これを活用して、JR大森駅より線路沿いに鹿島神社下の大井水神社前大仏ガードまで 800メートル続く細長く公園が整備された。当初、この地に湧水が多かったことに由来し、公園内に2基の噴水があったが、現在は撤去、休止されている。
長い線路沿いの公園なので、電車も見え、電車好きの幼児には人気である。令和元年 12月23日(月)、「品川」「 SHINAGAWA 」の文字で作られた大型モニュメントが設置され、電車内の乗客に車窓から品川区をアピールしている 。

33.JR大森駅東口広場の鐵道院鉄柱 所在地:大田区大森北1-1

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大森駅は、東京都大田区大森北一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)京浜東北線の駅である。品川~横浜(今の桜木町)間に日本で最初の鉄道が通ったのは明治4年(1871)。その5年後の明治9年(1876年)に大森駅は開業した。大森駅所在地は大田区だが、2つある改札のうち北口改札を出て右へ降りるとそこは品川区で2つの区を跨るようにして存在している。
明治45年(1912)に、当時の鐵道院の命によって鋳造された鉄柱が、京急バスロータリーのある東口広場のテラス柱として保存されている。2本保存されていて、1本の柱には「明治四十五年七月製造」、「合資会社高田商会 柳島製作所 」と鋳込まれ、もう一本には「 鐡道院 」の文字が鋳込まれている。この鉄柱は、製造後既に108年経過している 。

34.大井の水神と切畑隧道の湧水 所在地:品川区南大井5-14-9 南大井5-26

江戸時代の初期、貞享2 年(1685)に、大井村の村人たちが、農業用水の潤沢を願って石の祠を寄進し、水神、水葉乃売(みずはのめ)命を祀り、俗称九頭龍権現社とした。祠の前に池があり、かつてはここに湧水が流れ込んでいた。昭和50年(1975)頃から、都市化に伴い湧水が止まり、地下水をポンプで汲み上げているが飲料には適さない 。古来、柳の清水は、歯の病に聞くと言われ、現在もなお、このための参詣者がいるそうである。
大森貝塚遺跡公園北側と水神公園を通る人道隧道の水神公園側に小さな湧水が現存する。隧道になる前は、無人踏切で何度か JR 横断時に死亡事故があり、隧道化されたものである。隧道化前に湧水は存在していなかったが、隧道化により地下水が湧き出てきたものと考えられる。

35.海水浴場 所在地:品川区南大井3-大田区大森北2

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大森は大森貝塚発見で一躍知名度が高まり、明治24年には久我邦太郎によって八幡海水浴場が開場した。この頃、東京湾に海水浴場はなく、遠く大磯海岸辺りまで足を延ばす必要があったので、東京の人に歓迎された。大森駅東口から馬車や人力車を利用して海水浴客が集まるようになると、海岸一帯には料理屋が開業し、磐井神社横には伊勢源が明治26年(1893)開業 、漁栄、松浅、八幡楼などが続々開店した。明治34年(1901)京浜電気鉄道が開業すると八幡海岸だけでなく現在の大森海岸駅前に小松海水浴場(現 大森ハイツ前)が開場し、海道沿いには洋食みすゞ 元むらさき、天仲などの料理屋が続々開店し、遊興地として賑わった。
明治41年(1908)京浜電気鉄道の経営による八幡海水浴場(現 福久良ハイツ前)が開場し、大森海岸駅と八幡駅(昭和19年廃止)を利用して、海水浴客や砂風呂行楽客を集めた。年々人気が高まり、海水浴関係者は海開きの期間を考え、海水浴組合を作って対処した。
海開きには、打ち上げ花火を上げ、海水浴期間は7 月1日~8月31日までと決めた。期間中は、海苔取り競争、宝探し、スイカ流しなどの余興が催された。
京浜工業地帯が活況化し埋め立て工事が進む中で、海は汚染され海水浴が出来なくなっていった。そんな中で、平和島の沖にあった中之島に海水浴場が移ったが、ここも海洋汚染の影響で、昭和39年のオリンピック前の列島改造で消滅した。

36.鈴ヶ森の飛行場 所在地:南大井1丁目17 ※昭和3年9月~昭和15年1月まで10数年間存在

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昭和3年9月:大井・鈴ヶ森海岸に東京航空輸送社設立。翌年8月1日に、東京(鈴ヶ森)-下田間定期路線が認可された。同年11月17日には東京(鈴ヶ森)-伊東-下田間定期路線が開航。昭和5年1月29日の官報に、小泉又二郎逓信大臣名で大井飛行場開港が公示されている。
昭和6年2月には、エアガール入社試験が、応募者140名で実施され、3月エアガール3名(本山嬢、和田嬢、工藤譲)が採用されている。同年4月1日東京(鈴ヶ森 ))-下田-清水 のエアガール同乗定期便初飛行している。
昭和8年に、東京航空輸送社羽田に移転し、昭和15年大井飛行場は廃止されたが、その後も戦前は水上飛行機製作所として活用された形跡がある。

37.しながわ花海道 所在地:勝島運河周辺

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2002年に品川区の立会川、鮫洲両商店街の有志が中心となって「しながわ花海道プロジェクト」の名称で活動開始しまた。勝島運河の護岸約 2 キロに菜の花やコスモスを植え花畑にするとともに、護岸上部の清掃を進め、地域住民の方々がのんびり散策できる憩いの場を提供し、地元の活性化を意図した活動を開始した。現在は、意図したように地域の方々の格好の散策場所と憩いの場になっています。
桜・菜の花などが咲き乱れるシーズンは遠方から多数の人が立ち寄る観光スポットにもなっている 。福井県、福島県、高知県などともイベントや植樹での交流を果たしている。

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